小金井市の閑静な住宅街にある、「NPO法人 地域の寄り合い所 また明日」。保育所、認知症の方のデイホーム、誰でも立ち寄れる寄り合い所の三つの機能を併せ持つ多目的福祉施設だ。「施設」とはいっても、ここでは壁をとっぱらったアパートの一階部分で、利用者が世代を超えて一つ屋根の下で生活を送っている。そこには決まった介護マニュアルも、1日のプログラムも存在しない。従来の施設のあり方とは異なる、家族的なつながりで営まれる共同体や地域共生のあり方を実践しているのだ。
今回はその「また明日」を設立し運営されている、代表の森田眞希さんにインタビューを行った。
家族的なつながり
──森田さんには今回のインタビューで、「また明日」を維持管理・運営していくための技術面を中心に話していただければと思っています。まず設立背景について。総合病院の保育士として働いた後に、「鳩の翼」を設立されたと思うんですけど、そこに至るまでに何か問題意識があったんですか。
元々夫婦で同じ学校で福祉を学んでいたので、共通の目指すところが一緒というのは、とても大きかったですね。もうちょっと思い起こせば、私自身も「家族」という視点で言うならば、当時は昭和40年代で子ども達もたくさんいたし、近所にいろんな世代の人たちがいる中で生まれ育ったので。そういう自分の生い立ちっていうのも大きく影響してると思うんですね。あと、夫の森田和道はクリスチャンなので、コミュニティの中心に教会があって、日曜日になると教会に集まるっていう過ごし方をしてきた。教会って子どもだけとかじゃなくて、いろんな世代、いろんな背景を持ってる人たちが集まる場じゃないですか。そういうコミュニティが家族以外にもあったっていうのがとても大きかったと思いますね。
──なるほど。幼少期の環境と同じ学校で学んだことが大きかったと。
その後、学校卒業と同時に結婚して、私は子どもの分野、夫は高齢者の分野にそれぞれ関わりました。それである時、障がいを持った子どもを夫がいる高齢者施設に連れて遊びに行ったんですけど。そこで、いわゆる寝たきりと呼ばれるお年寄りが、その障がいを持った子がベッドの中に入ってきた時に、その子をぎゅっと抱き寄せたんですよね。その姿を見た時に、障がいが、とか寝たきりでっていうふうに決めつけてるのは我々の方であって、そういうものを関係なく、同じ時間と場所を共有できるところがあったなら、その垣根を越えて関わり合いが生まれるのではないかなと思ったんですね。それがその後につながる大きなきっかけですかね。
──そこから、「鳩の翼」を設立されたと思うんですが、機能としてはデイサービスのみなんですか。
居宅介護支援とデイサービスは、通所介護支援っていうんだけども、それを平屋の民家で始めたんですね。特徴としては、そこの場に子育て世代の人たちが出入りできるようにしたという点だったんですね。
──ある意味で既に寄り合い所的な機能もあった?
そうそう。その時にね、出入りできるようにしようと思って。デイサービスを解放するっていうのかな。それも思えば、自分自身の実家もいつも開放されていて、いろんな人たちが立ち寄っていて。近所のおうちも同じように開放されていたんですよ。
──近所の家も。
団地の中に何軒かそういう家はあったんだけど、中でも1階の角のおばちゃん家。そのおばちゃんは片足がなくて義足だったんですけど、家で洋裁の仕事をしていて。そうすると、そこが溜まり場みたいになって、子供たちはみんなそこにただいまって帰ってくるんです。共働きをしている親たちなんかも、そのおばあちゃん家の下駄箱の上に鍵を預けておいて、子供はおばちゃん家に帰ってくるとその鍵を取って、ランドセルを置きに行く。親たちもそこにただいまって帰ってきて、仕事の愚痴をこぼしたりとか。その周りで子供たちも宿題やったりとかしていて、ワーワー大人が帰ってきたりすると、目の前が公園だったから、子供は外で遊んできなさいとか言われて、夕方6時過ぎぐらいまでほぼ毎日遊んだりしていて。そんな感じでおばちゃん家に子供たちを預かってもらったりするわけなんだけど、何か一方的なお願いばかりなのかっていうとそうじゃなくて。おばちゃんには一人娘がいたんだけど、その娘の送り迎えを、共働きをしている親たちが自分たちの子と一緒に連れて行ったりとかしてたんです。お互い様の関係っていうのかな。
私の母親は超お節介な人で。そうやって共働きしていたりする家だと、父母会とか、そういう子供のことはできないじゃない。だから授業参観とかあると、自分の子供じゃなくても、共働きのよその家の子供の父母会とかにも出ていくような人でね。お節介な人だったね。
──背景というか、育った環境も結構大きいですね。
思いますね。だから何だろう、家族がある地域ってこういうものだと思って私も育っているので。
──森田さんの家族観としては、そうやって常に開かれていて、色々な人が交流する場所のイメージなんですね。それは家族的な人がたくさんいるということですか?
そうそう、家族的な。だから私の母親が亡くなった時は、近所の幼馴染たちもお葬式に来たんですけど、職場で関係を説明するのに困ったと言ってましたね。家族でもないし親戚でもないし、難しいですね。
モノへのこだわり
──「鳩の翼」の後に、「また明日」を始められるんですよね。
そうです。きっかけはね、「鳩の翼」に親子で来る人たちの中には、やっぱり保育園として預けることもできたらいいなっていう声がとても多かったんですね。でもそれには少し「鳩の翼」のスペースは狭かったのでね。改めて「また明日」として法人を立ち上げました。
──その時物件は色々見られたんですか。
いろいろ見たけどね、この物件にたどり着くまでに2年ぐらい探したかな。
──何かこだわりポイントというか、あるんですか。
一軒家を最初探していたんです。最後は農家とかもみてまわって、使ってなさそうな母屋とか見つけると、「あそこの母屋貸してくれませんか」って尋ねて回った。
──そこまで家的なものにこだわっていた理由はなんですか?
施設だとやっぱり施設なんだよね。家だとやっぱ家なんだよね。住んでいる家っていうと、なんだろう、その建物が醸し出すものってある。ハードのものってやっぱりそのものが醸し出すものってすごくあるよね。だからデザインとかってすごい大事よね。
──そう言っていただけると建築を学ぶ者としてはうれしいです。
ほんと大事。福祉の分野こそ、デザインがものを言うっていうことはありますね。
──やっぱり老人ホームとかの施設を見てると、単調な正方形の箱で、どうしても家ではない何か独特の緊張感というか、そういった雰囲気がありますよね。ここではそれを全く感じないのがすごいと思って。この物件を選んだ後に、こうやって壁を抜こうっていうのを考えたんですか?
空間を繋げることはもとから考えていて。ここを借りる前から、壁を抜いて一体的に使えるようになったら面白いねっていうことを夫とも話をしていて。借りられることになったときに、「つきましては壁をぶちぬかせてもらっていいですか?」って聞いたら、「いいよ面白いね」って言ってくれたから。すごく良かった。

──そういった空間へのこだわりに加えて、先ほどのモノの雰囲気の話からすると、家具に関しても考えられていそうだなと思って。ここの家具はすごく家庭的ですよね。
とっても大事ですよね。でも実際、お金がないということもあって。普通は一つの施設の立ち上げで億単位とかするでしょ。でも個人で立ち上げて、ほんと何百万とかでやろうとしたから、家具まで手が回らなかった。そこでどういうふうにしたかっていうと、いろんな所に行ってこういう事をやるんだって人に話して回って。で、その中でこういうものが必要なんだ、ああいう物が欲しいんだということを、もういろんな人に言いふらした。そうする中で、そういえばあそこの一軒家はおばあさんひとり暮らしになって、こんど壊すんだってっていう話とかあって。そういう情報を聞くと紹介してもらって、これとこれとこれくださいって貰いに行きました。だから買ったものとかなかった。
──その貰った家具の感じがここの雰囲気を作っているなと。
アンティークとかもそうだけど、誰かが使っていたもの、人の手垢のついたものって、何か独特の使い込まれた雰囲気ってあるんだよね。それも含めて貰うというかな。あとね、施設で不思議だなと思うのは、人間背丈とか足の長さとか、みんなバラバラなのに、物は全部統一されて同じものでしょ。それも違うと思って。その点、もらった椅子とかだと、足をジョキジョキ切れちゃうんだよね。何かね、買った高価なものだと、そこまでする勇気がなかったりするけど(笑)。貰い物だと、いろいろ工夫しながらやれるから。ものに合わせるのではなくて、その時々の様子によって、人にものをあわせていくっていうのかな。
──施設として、消防法みたいな法律の基準でこうしなきゃいけないっていう事はあると思うんですけど、一方で森田さん的に譲れないポイントはあるんですか。例えば鉄筋の柱を大黒柱っぽく見せてるのも、一つのこだわりだと思うんですけど。
逆にバリアフリーにしないということ。だって皆さん、バリアフリーの家に住んでいる人ほぼいないと思うんですよね。施設チックに手すりとか付けたりはしません。
──足腰が弱い方もいると思うんですけど、そこはスタッフの技術で、ということですか。
そもそも、立位が取れるってことは動ける、という森田のこだわりもあるんですけど。その時の手の運びとか足の運びっていうのは、理学療法の分野とかになるんですけど、ちゃんとあって。だからやみくもに手すりがあればいいってものでもない。ここには、そういうところにパッとつかまれるような物が置いてあったりするので、そこを持って動くとかね。

信頼関係を構築する
──「また明日」をやっていく上で、周辺の地域社会に受け入れられることがすごく重要なことなのかなと思ったんですけど、受け入れられるためにやっていたこととかありますか?
それはすごく重要ですね。立ち上げ前にフォーラムとかに行った時にね、福祉施設を立ち上げた時のマイナスな報告がたくさん出ていて。やっぱり福祉施設ってそういうものなのかなって悲しく思ったのと同時に、近隣の人たちもそれが一体どういう場所なのかっていうのがわからないんだとも思って。知らないということがやっぱり不安を生み出すし、不安は攻撃に変わっていくので。鳩の翼も、ここもそうだったんだけど、いつでも地域の人たちが入ってきて見れるように、準備の段階から開放してたんですね。ここの場合は、まず自分たちが最初に2階に引っ越してきて、地域住民になりました。開所の前の9か月前でしたね。で、町内会もあらゆる会合に一つ残らず参加して、その度に「実は私たち、ここでこういうことしたいんですよね」っていうことをとにかく言いまくって。その中で、サポートしてくれる人とのつながりが生まれたりもして。工事してる最中も、いつも解放して、ここまで進んだんだね、とかそういうことが見えるようにしたんですね。そしたら開所した時に、やっとできたねっていうふうに喜んでくれる人たちがとても多かったんです。やっぱりそれは、出来上がる前から、この人たちが何を、誰のために、どんなふうにしようとしているのかっていうことを知っているから、そういう風に受け入れられる訳だと思うんです。
──でも施設ってそういうプロセスがないことが多いですよね。ある日突然幕をはって、気づいたら建ってるというか。
そうだよね。そうすると、色々トラブルにもなりますよね。だから受け入れられるようにする取り組みは、もう引っ越した時から始まってたんだよね。そこには一番意識的でしたね。
──地域のつながりをそうやって作っていくことに関しては、森田さん的にはごく自然なことだったんですか。やっぱり若い頃に働く中で、そういうつながり方を学んだんですか。
そうですね、計算もしました。例えば大雪が降った時に、地域中の雪かきを夫婦でやったんです。そしたら「この人たちが来てくれたからこんなに綺麗になって、すごい助かるわ」って。雪なんて目に見えるものだからきれいになってたら分かりやすいですよね(笑)。
──信頼関係を生むために計算していたと。そういうプロセスを踏むのは、当たり前といえば当たり前の話だと思うんですけど、やっぱり普通の施設では、あまり考えられていないように感じます。
そうですね。あと、住民としてもそうだと思うよ。例えば引っ越してきた先でね、前の道路を掃く時に、きっちり塀の間だけ掃くんじゃなくて、そこの先1メートルずつ掃くとか。その隣の人も1メートル余分に掃いていったら、1本つながって全部きれいになるわけでしょ?そういうことをできるのかどうかが、そこに新しく構えたその住居の中で、気持ちよく近隣の人たちと関係性を築けるかにつながる。とても大事なことだと思いますね。

