UNITÉ

インタビュー 鞍田崇 vol.3「鞍田先生の家族観」

──お話を聞く限りだと、鞍田先生は家族の形自体も血縁のもの、血縁ではないものも分け隔てなく受け入れますよ、みたいに感じられるのですが、そのような考え方になったきっかけとかありますか?

僕もまあ、実際には大学に入るまでは普通に新興住宅地の戸建てだった。でも何だろうな、やっぱり母方のおばあちゃんの家というのは大きいのかな。そこは絶えずいろんな大人が出入りしてたから、お客さんも含めてだけどね。そういう意味では、旅館って絶えず異なる家族がいるような状態だよね。家感を出すようなちっちゃな旅館でもあったしってのもあるんですけど。もしかしたら背景にはあるのかもしれない。だから、ゼミの運営をする上でも別に家族になりたいわけではないけど、なるべくそういう時間を持ちたいなっていうのが僕の中の願望でもあるんですよ(笑)

──ゼミの運営でそういう時間とは?

授業だけ、はい、解散とかってすごく寂しくて昨日の発表ゼミで院生たちの研究発表で、一応事前の案内では終わったら希望者生田で飲みに行こうって言ってて、行く?っていったら終ったら皆サーっと帰っていってて、めっちゃ拗ねて新しい課題をボンボン出した。そういう意味では軽く怒ったり(笑)。そういう時間をもともと求めているのかもしれない。

──そうなんですね。(笑) それも家族のようなつながりに近いかもしれないですね。

そう、インフォーマルな部分というか、フォーマルな部分だけじゃない何かがその家族的なるものだとしたら、まずその時点では血が繋がってる繋がってないはひとまず置いておいて、だれしも繋がり得る場所として別の形があるかな。

──家っていうものにとらわれないっていうか、家族とか家庭とかそういう言葉を使わずともそのような繋がりはできるという意味ですか?やっぱり私は家族ってある種の縛りに見えてしまうことがある。家族だから、父親だから、母親だから、こんなにしてあげてるのにどうして?みたいな。何かそういう考えを押し付けられる時が多々あるような気がして。

そういう意味では、僕の場合は大学入る時点で家を出たのは良かったのかもしれない。やっぱりずっと、どんどん人間として別の要素をはらんで外の世界にどんどん出ていく中で、その家の中だけでは回ってた文脈とは違うものを自分の中で蓄積していくわけじゃない。そうするとやっぱり空間的にも関係性としても、その中で回ってる中だけで収まらないものとか、そのギャップにむしろアンテナが立っちゃうっていうか。だからね、ちょっと離れた方がいいんだよ。ほんとうは。どっかの年齢になった時。

──高山寺の例とか、すごいですね。結婚式をそこで開いちゃうぐらいになれるのが。

結果的にはそっちにも家族があるみたいな感じになっているのかな。家族的なものが沢山できてくる。多分そっちの方が楽ですよね。基本的に家族っていうのが一つあるだけよりも、いろんなとこに拠り所があるというか。例えばそれこそ子供ができた時には、その次の世代を育てるためのユニットとしての家族ってあると思うんだよね。でもそれはあくまで子供が1人前になるまでの巣みたいなもんじゃん。生まれてまだ跳べないから餌もあげないといけないし。でも、巣立つわけ。日本の家族はもしかするとその状態からもう離れなきゃいけないのに、巣を離れられない状態である場合もある。一時、パラサイトって言葉も流行った時もあったけれど、逆に子供の方がそれを利用する場合もあるかもしれない。もはやそういう家族的シンパシーはほとんどないんだけど、部屋代がかからないしみたいな感じである種寄生するようにというか、まあ逆も然りかもしれないけど。

──子供を育てるためのユニットとしての家族において、子供が成長するまで家と子供の関係性が大人になってからも空間的にも関係性としても同じ形を維持することの不自然さがあるんだろうと思います。

そこら辺の問題はあるのかもしれない。もちろん大家族って考え方もあるから世代を超えてとかね。元々3世代とかで住んでいたりして、家の中に成長していった後の役割が変わっていく過程を、その関係性の中で織り込まれたらよいだろうけど、核家族の状態で関係性がずっと変わらないけど、当の本人たち、特に子供はどんどん成長して、新しい役割がなく、その当初の幼少期の関係性だけが膠着してるということの不自然さはあるのかもしれない。

──母親である時間、父親である時間、子供である時間が長すぎるということですか?

そうかもしれない。もちろん、いずれ働いて仕事をするってなったら、もっと違う部分が家族に対しての関係性を持つっていうこともあったりするのかな。もしかするとね。

──さきほどおっしゃっていた、血縁ではない人と住むといった観点やいろいろな拠り所を用意するといった意味で、鞍田先生の奥さんが立ち上げたムジナの庭はなにか関連はあるのでしょうか?

そうだね。庭というキーワードのもとに新しい事業を始めましょうみたいなことがあったというのが直接的な背景なんですけど、でも彼女の思いとしてはやっぱり家というものが一方ですごくこう、例えば家族関係がこじれてしまうような、決してハッピーなものばかりじゃなくて、色々な問題を胚胎する場所でもあると考えていて。家のせいで苦しんでる人がいるのに、また家かよということにもなりかねないから。でも全く外じゃなくて、内と外がちょうどいい感じでフュージョンしているのが庭かな、みたいな感じでした。

──実際、そのような「庭」をつくるときに影響を受けたイメージとかあったんですか?

ジャン・ウリさんの福祉に対する考え方に刺激を受けて、そのなかでも特にコレクティフ(英語だとコレクティブ)という概念に影響を受けたところがあったんだよね。その対概念となってるのがグループっていう言葉で、どちらも集団を表す言葉。グループは一つの目的に向かって、みんなが一致団結して進んでいくような体制のこと。一方でコレクティフっていうのは、そういう共通の理念とか目的がなくて、たまたま居合わせてるだけみたいな集団のことなんだよね。ウリは精神科のクリニックにおいて大事なのは、むしろコレクティフだと言った。本当にたまたま集ったみたいな関係性なんだけど、でも何かこう全体としては繋がっている。それぐらいの関係性がいいんじゃない?ってことを言っているのが、ムジナの庭をつくる時にも何かすごく大事なポイントかなと思って。だから家じゃなくて庭だったのかもしれないですね。

──コレクティフといった考え方はすごく面白いですね。ですが、コレクティフな関係を実現するためには、なにか薄いつながりが必要な訳じゃないですか。それって何なのでしょうか。

そのときに、僕がそのときに思ったのはね、コレクティフの翻訳本が出た時に、出版記念のトークに呼ばれたんです。京都でMEDIASHOPっていう河原町三条にあるアート系の建築とかも充実した本を置いている本屋さんで行われたんだけど、その近くに六曜社っていう古い老舗の喫茶店があって、町中の小さな喫茶店なので相席になるんだよね。で、待ち時間で僕一人だしと思って、相席ですけどいいですか?って言われて、「ああ、いいですよ」って言って座ったら、4人がけぐらいのテーブルで。僕の隣には新聞読んでいるおばあちゃんがいて、向かいには留学生っぽい男子と日本人っぽい女の子が英語でしゃべってた。まあ、何か不思議なテーブルだなと思いながら、普通にコーヒー飲んでたんだけど。そうすると、一応声は聞こえてくるわけ。で、どうも、男子が一生懸命英語で彼女を口説いてる(笑)英語だと思って、あけすけに言いやがってと思って(笑)こっちは分かるぞってね。あえて首を突っ込まないけど。でも、これってコレクティフかもと思ったんだよね。お互い干渉しないんだけど、何かこう聞こえてくるような。

──テーブルがあったからそんな関係が生まれたんですかね?

そう。そのテーブルの距離感も適度かついいぐらいの何か共有はしているんだけど、何か狭いなということでもなく、何か相席が前提のしつらえだし、サイズ感というか寸法取りというか。ここにこのテーブルがなかったら、そもそもこの4人は居合わせなかった。だからまずコレクティフな関係をつくるときに何が大事かという時に、僕の中でまず閃いたのは、モノなんじゃないかなって思ったんですよね。具体的なマテリアルとしてのフックが、やっぱり人が集う時に大事なのかなと思って。それは拡張すると、建築という空間にも繋がる話だと思うんですよね。そこにやっぱりムジナの庭と言いながらも、伊東豊雄の家があるから人は来るんです。あの家の持っている独特な、閉じているのか開いているのかみたいな塩梅の良さだったり。それは意図したわけじゃなかったけど、結果的にはすごく良かった。辛うじて色々難しいこともあるけど、ムジナの庭がおよそ3年走り続けられたのはあの建築のおかげだと本当に思いますね。

──最後に。今日も話していただいたムジナの庭等を通して、鞍田先生の家族にフィードバックというか、なにか変わったことはあったんですか?

どうだろうなあ。今は、大きく何かが動いているという感じではないかな。今はむしろ、そうやって自分たちのいくつかのパターンをそれぞれに試行錯誤して、そこに一つの形ができたので、すごくコンサバティブな感じだけど、もう一回自分たち自身のミニマムな家族にかえって考えるかもしれない。今は社会的実践の方が前に出てきてるっていう感じですね。