UNITÉ

インタビュー 鞍田崇 vol.1「ふわふわな手」

明治大学理工学教授の鞍田崇先生

先生自身の家族感のお話を聞きました。

  1. おばあちゃん運
  2. ふわふわな手

おばあちゃん運

―家族のかたち、というものの自己形成はやはり幼少期にどのような経験をしたのかが大きく起因している気がします。鞍田先生も自己形成は幼少期の頃に大きく影響を受けていたりするんでしょうか?

僕自身の自己形成においては、幼少期と他にも時期があるんだよね。幼少期は僕のおばあちゃんって存在は大きかったな。母方の祖母が旅館を切り盛りもしていて、その場所にしょっちゅういりびたっていたな。

ー旅館というといろんな方が行き来するような感じでしょうか?

そう。そういう中で育てられたのが大きくかったし、幼少期に身につけたおばあちゃん運が学生になってもあってね笑

ー幼少期に付け加えて自己形成で重要な時期が学生に訪れたわけですね。

そうそう。大学生になって初めて親元を離れて京都でひとり暮らしを始めるんだけど、大学2年生の時に高山寺というお寺のバイトに行き始めるんですよ。

ーお寺でのアルバイトは、実に京都らしいですね笑 なぜそうなったのですか?

高山寺は紅葉の名所なのね。でもシーズンになるとお寺の人が処理できないほどのたくさんの人が来るからその時期だけアルバイトを雇ってたん。親友が電信柱にあるバイト募集の張り紙を見つけて、「くらちゃんも行ったほうがええで。」って誘われて僕も、バイトすることになったんだよね。

ー電信柱に貼ってあるバイトって少し怪しい感じがしますが…笑 結果的には無事アルバイトすることができたんですか?

怪しいよな笑 当時僕も半信半疑で。初めて訪ねたのは秋の10月のあたまぐらい、朝早くから、7時台とかそんなやったかな。山あいの停留所でバスを降りると、薄モヤが立つようなちょっと幻想的な雰囲気で。そんななかお寺へとずーっと歩いていった。正直、歩いている時は自分なんでこんなことしてんねやろ、とか色々考えてたんだけど、通用口とおぼしきところの正面に本当に綺麗な白髪のおばあさんが座ってたんだよね。

ーなんだか日本昔話を聞いているようですね。先生の持ち前の「おばあちゃん運」が発揮されてますね。京都でもすてきなおばあちゃんとアルバイトを通じて出会っている…

ふわふわな手

僕が、声をかけようと思ったら、僕の足音に気がついてこっちを振り向かれたんだけど、もうその目がやばくて。射抜かれた感じ。全てを見透かされた感じの…

ーひとめぼれのような感じでしょうか?とても幻想的な出会い方ですね。その方はお寺の方だったんですか?

目惚れなのかな、笑言うてもまだ僕も20歳ぐらいだったので、強がり言っても自分の中で自信がない部分があって、内側のくよくよした部分を全部見抜かれた感じがして、ああ、この人には何言われても降参やって。オガワ チエさんっていうんやけど。その当時はまだみんなから「奥さん」って呼ばれてたけど、後にそそのお寺の住職さんになる人やって。

ー住職だったんですね!チエさんとはアルバイト以外でも親交があったんでしょうか?

うん。バイト後もちょくちょく関わりがあってお寺に人が少ない時はチエさん一人で心配やからって、頼まれてチエさんとお泊まりしたり、それこそ血は繋がっていないけど「家族じゃないのに家族のような存在」になっている感覚はあったな。

ー血縁関係ではない方を「家族」と認識できる経験があったのですね。今でも関わり合いがあるんですか?

いや… 僕が社会人になって、しばらくしてチエさんが癌になったというお知らせを受けてた。できるだけ、関西に仕事とかで行く時があるとお見舞いに行ったりしてたんだけど、ひとつ、ある時にお会いした時のことが本当忘れられなくて。普段は綺麗に髪の毛も整えて結んでたんだけれども、いかにも病人然としていて。また来ますねって最後に去り際に挨拶したら、手を出されたんですよ。

ー親しい人が日に日に弱っていく姿は、見ているこちらも悲しい気持ちになりますよね。

住職の手なんて握ったことないから、もしかしたらもう最後かもしれないと思われたのかもしれないと思って、「ああ、また来ますよ」って言いながら手を取ったらめちゃくちゃ柔らかい手やってんふわふわの手で。

ー家事の水仕事にも仕事されてそうなのに、柔らかかったんですね。

そうやね。むちゃくちゃ柔らかくて、その感触が未だに忘れられへんというか。最期には立ち会えなかったけど、チエさんがいたから今ぼくは「民藝」を取り扱うようになったし。家族ではないけれども、家族的な感じ。おばあちゃん的存在というか、それがすごく自己形成で大きかったなと思いますね。